2010/04/25

動物サーカス Animal Circus


毎週注文している某宅配サービスの注文カタログに
先週この広告が一緒に入っていた



(ちなみに動物たちの涙は加工)



子供の頃にサーカスを観に行ったことがある方もいらっしゃると思う。
子供は無邪気に喜んで見るものであろう。
私も、いつだったかも覚えていないのだが、どこからかチケットがまわってきて、リングリングサーカスに行ったことがあるが、漠然とした記憶しかない。 
ということは、そのときは何も感じず何も考えずに見ていた、ということである。


今日ここでお話したいのは、サーカスといっても、動物のサーカスについてである。 

私の人間的な成長、といえるのかもわからないが、その後動物への思いやりが深まっていき、人間のエンターテイメントのために利用されている動物たちについても、自然と無関心でいられなくなった。
のちに動物を使ったサーカスというビジネスの裏側を知り、過去に一度でも出かけて行ったという事実を、いまは恥じているくらいだ。

もしいま自分に子供がいてせがまれても、決して連れて行くことはないであろう。
そして子供にきちんと話して聞かせ、理解してもらえるよう努力するつもりだ。


サーカスで芸をさせられる多くの動物たちは、こどもの頃に野生の世界から捕えられ連れてこられる。
彼らは狭いコンテナの中に閉じ込められ、長距離を移動させられ、見世物として生きていく。
熱く空気のうすいコンテナでの移動中に命を落とすことも少なくない。

ご承知のとおり彼らは動物だ。
自ら志願してサーカスに入団し、自ら磨いた技を観客に披露することで喝采を浴びたいわけではない。
それによって収入を得て家族を養うためでもない。
あくまでも人間に捕らわれたのである。


極限のストレスからサーカス団員や、観客に襲いかかることもある。
サーカステントからの脱走を試み、射殺される象もいる。
なぜそうなるのか・・・答えはかんたんだ。
みなそこにいたくないのだ! 
広大な森と大地に帰りたいのだ。
そこで彼らは生まれ、そこが本来彼らの生きていく場所なのだ。

私たちが今日突然自由を奪われ、家族から引き離され、コンテナに閉じ込められ、知らない土地に連れ回され、言うことを聞かないと痛めつけられる。
そんな生活にひきずりこまれたら、どうなるであろうか。

人間に対する、拉致・監禁・虐待はときには政治的な問題にまで発展する深刻な事件である。
しかし、こと動物たちに対してはそれが許されているのだ。
いつになれば、彼ら動物たちが、私たちと同じように感情を持つ生き物だということを理解してもらえる日がくるのだろうか。

人間など簡単にしとめられる大きな体や牙を持ちながら、動物たちがなぜそうしないのか。
なぜ人間のいうとおりに、したくもない芸をするのか・・・。
それは怖いからである。
相手の脅威を知っているからである。
相手が手にしているもの(ムチ、スタンガン、鉤状の調教棒など)が、自分に大きな苦痛を与えるものだと知っているからである。

囚われの身となったあと、人間のいうことを聞かなければ、痛みを与えられる、食べるものは与えられない、という「罰」を彼らは思い知らされるのである。
痛みと飢えへの恐怖から、芸を叩き込まれるのである。

これがサーカスに捕らわれた小象を待ちかまえる運命である 

「罰」せられるべきはどちらなのかは、火を見るよりも明らかだ。


野生の象が、体に隠れてしまうほどの小さな椅子に座ったりするだろうか。
野生の熊が、自ら自転車やオートバイに乗ったりするだろうか。
野生のトラが、本来恐れる火の中をくぐったりするだろうか。

「動物サーカス」、それは人間特有の歪んだ娯楽欲求を満たすための残酷な見世物でしかない。

シルク・ドゥ・ソレイユのような動物を苦しめることなく、楽しめるサーカスもある。 
ぜひそのような、やさしいサーカス団の公演を、楽しんでいただきたいと思うのである。


最後に貼らせていただいた下のリンクの映像は、動物愛護団体PETAがビデオにとらえた、サーカス舞台裏で行われている動物への暴力の実態です。

Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circus
 
(英語サイトですが、映像だけで十分に伝わってくるものです。)


-サーカスに捕らわれている動物たちが、一日も早く苦しみから解放される未来を願います- 
 
 
 
 
 
  

2010/04/22

寝る前に・・・猫虐待のニュース

 
今日は付き添いで一日病院に行っていたので、少々おつかれ、早く寝たいモード。

何も書かないつもりだったが、夕飯のあと、刃物で40cmにわたり傷つけられた猫が、八王子で保護されたニュースを見た。

関連記事を見ると、おとといにも世田谷で薬品をかけられたことによるやけどを負った猫が数匹保護されていることを知った。

2月~5月にかけて、同じ公園で同じ虐待を受けた猫が7匹も見つかっているらしい。


・・・・。


イィーッ!!





「 ネコちゃんたち、ごめんなさい・・・ 」
          
         








 

 
 
 
 
 
 

2010/04/20

山梨 犬捨て山のいま

 
あのときからもう6年が経つ。

その後もマルコさんをはじめとする多くの方々の献身的な活動により、犬捨て山の状況はさらに改善され、三つのうちの一ヶ所はなくなったそうだ。

そして現在は帝京科学大学の学生さんたちが、HP山梨県 犬の多頭飼育問題の真実で、山での活動をブログでレポートしながら、犬たちを一匹でも多く幸せな家庭犬として送り出すべく、尽力されている。


猛暑の中も、吹雪の中も、一年一年、一日一日を山でなんとか生き伸びている犬たち。
みんなテレビコマーシャルや雑誌モデルとして出てくるような、小さなぬいぐるみのようなコたちではない。
いわゆる中型以上で“雑種”と呼ばれる犬たちである。昨今は〝MIX〟と呼ばれるようになった。

傷つき心を閉ざしてしまった犬たち。
人なつっこく甘えんぼうなのに、甘えられる里親に出会うことなく、年をとっていく犬たち。
病気になったり、衰弱したりして、山での長くつらかった一生を終える犬たち。

どの犬たちも勝手に飼い主のもとを脱走し、好きでそこに住みついているわけではない。
一匹一匹が人間の手によって、一方的にそこへ運ばれてきた命なのだ。
フワフワコロコロとしたちっちゃな仔犬のときだけは、撫でられ、頬ずりされ、可愛がられたのだろうか・・・。



 

山で「マルク」と呼ばれていた甘えん坊のこのコは
優しい里親さんに迎えられ、まもなく天国へ旅立った




このブログを読んでくださった皆様へ、私からのお願いです。

もし身近で犬を飼いたいという人がいらっしゃたら、犬捨て山や保護センターの話をしてみていただけませんか。
そしてぺットショップに高いお金を払わずに、里親を募集している犬たちをを家族に迎えることも、考えてみてはと、伝えてみていただけませんか。

話を聞いてくれても、結局その方はペットショップへ行くことになるかもしれない・・。
仔犬から育てたいというかもしれないし、この犬種でなきゃイヤだというかもしれない。

それでも、一度だけでも、話をしてみていただけませんか?

自分を置き去りにしていった飼い主をうらむこともなく、保護センターや犬捨て山のような場所で死んでいった・・・そして死んでいかなければならないかもしれない、心優しき犬たちの名誉と尊厳のために!

どうかよろしくお願いいたします。









 山から我が家に迎えたウリちゃん














2010/04/18

山梨 犬捨て山 Ⅳ

 
そんないきさつでジムニーに乗ることになったのだが、とても気に入った!
小柄な私には視界も高くなるしで、たいへん運転しやすい。
追い越しのときなどは、ややパワー不足でもどかしいのだが、なにしろ運転していて楽しい。

山梨までの道のりは一人で行くには決して近くはなかったが、ジムニーのおかげでドライブを楽しむことが出来た。ボランティアしたあとは、ただ帰るだけではなんだかなぁ~という気持ちもあり、日が暮れる前に、わざと舗装されていない山道を走ったり、水が流れているところに入っていってみたりもした。






そんなふうにジムニーを楽しみつつ、その後何回か一人で山へ行き、犬たちのお世話をした。
お世話といっても、一匹一匹頭を撫でて話しかけている時間はない。
山ではあっという間に日が暮れる。

空っぽの水入れに山から流れてくる湧水を汲み、犬たちのケージの中の汚物をスコップでバケツにすくっては指定の場所へ運ぶ。何回も・・・何回も・・。
トイレもないところだが、一匹でも多く水を変えてあげたい、ケージの中をきれいにしてあげたいという気持ちで夢中になり、自分のトイレも忘れてしまう。

当時は家族の同意を得られず、犬を飼うことが出来なかったので、それならばせめて・・という思いで山に出かけていったのだが、犬たちと向き合いながら冷静に考えていくうちに、毎日通えるならともかく、たまに来てお世話をすることよりも、ここから一匹でも多くのコが出て、一日も早く「こんな場所」はなくならければいけないと思った。

家に帰るとそんな「熱い思い」を家族に語り続け、理解を求めた。
そして数か月後、一匹のわんこ「ウリちゃん」を山から我が家に迎えることになった。
ウリちゃんのことはあらためて紹介したいと思う。







私の山でのボランティアはわずかな期間だったが、せめてマルコさんの活動の脚をひっぱるようなことだけはしなかったのか、今でもマルコさんとは年賀状の交換をさせていただいている。
ちょっとした相談や近況報告でメールを差し上げれば、お忙しい中も電話でお返事をいただける。
マルコさんとは話をしていてとても楽しい。
犬以外の話でもどんどん盛り上がる。

マルコさんだってほんとうは悲しい犬の話など、出来ればしたくないのだ。
そんな話をしないですむ日が早く来ればいいと、心から願うのである。














2010/04/16

山梨 犬捨て山 Ⅲ 

 
ー犬捨て山ー

その光景がいかなるものだったかを、あえてここで語ることはやめておこうと思う。

それは何行かで書き表わせるようなものではないし、私が見た光景がどんなに驚くべきものだったとしても、それはマルコさんとボランティアの方たちが、すでに何年もかけて改善されてきたものだった。

あの場に立って、心の底からマルコ・ブルーノさんという人を尊敬した。
マルコさんが初めて訪れた当時の現場がいかに悲惨な状況だったかを、想像は出来たとしても、実際に目にしたわけではない私が、ここでわかったようにあの山のことを語るのは、とてもはばかれると思うからだ。

こちらでマルコさんのインタビューと犬捨て山の写真をご覧いただきたいと思う。

http://www.petlink.jp/topic_interview/data/interview/004/interview004.htm


はじめは好奇心や、何とかしたいという気持ちから現場を見に来ても、その後二度と来ない人がほとんどだいうマルコさんの言葉に納得できた。
いくらふだんから犬が大好きな人でも、顔から笑顔は消え、しばらく立ちつくしてしまうだけだろう。

しかし、私が案内されたそこは、山の犬捨て場のまだ「1」であって、それとは別にそれぞれ車で10分もしないところに、「2」、「3」の犬捨て場があったのだ!!
私が見ても、3ヶ所合わせると何十匹ではないのは一目瞭然であったが、当初は400匹以上いたというのだから言葉も出ない。

3ヶ所の犬捨て場には、それぞれ一人づつ犬たちの世話をするおじさんがいた。
魔法の杖でもないかぎり、たった一人で何十匹の犬を世話出来るわけがない。
ケージによっては水はひっくりかえり、とっくに空っぽになっているし、
フードの入れ物には、フードと一緒に犬たちのオトシモノが入ってしまっていたりする。

スコップとバケツを持った「侵入者」の私に攻撃的なコは一匹もいなかった。
なぜならみんな一度は一緒に暮らした人間の手でここへ置き去りにされた犬たちだからだ。
そうでなければ、その後ここで生まれた犬たちで、人を知らずにケージの奥で、兄弟犬、姉妹犬と重なるようにブルブル震えてこちらを見ているだけのコたちだった。

どのコもみんな悲しい目をしていて、作業している私をじっと見つめていた。
伸び放題の爪に毛玉だらけの汚れた体。
中には甘えて遠慮がちに腕に顔をうずめてくるコもいる。
気持ちだけが空回りし、どうにもできない無力さに悲しくて悲しくて泣きたくなった。

一人でもまた来たい・・・。

ちょうど車の購入を考えていたときだったのだが、候補であったスバル・インプレッサを急きょ予定変更し、このジムニーシエラにしようと決めたのだった。










-つづく-



マルコ・ブルーノ氏が代表の動物愛護支援の会のホームページです



マルコさんが登場している映画です
現在は宝塚シネ・ビビアで上映中








2010/04/14

山梨 犬捨て山 Ⅱ

 
私が驚いたように、皆さんもきっと驚くだろうと思う。

富士山を望む美しい山梨県の、とあるところに、「犬捨て山」と呼ばれる場所が存在する。
一つあるということは、たぶん日本中にそのような場所が点在しているのではないだろうかと、私は想像してしまう。

もちろんそのような聞くも恐ろしい場所、はじめから存在しているわけではない。
山梨の場合、そもそもはなにやらとんでもない地主が土地がらみの問題に犬たちを利用したようで、多数の犬をそこへ放置したのが始めらしい。(そうすることで意図的に地価を下げようというもくろみだったのか)
そこへ、これまたとんでもない人間たちが、まるでゴミを収集場所に捨てる感覚で、次から次へと犬を置き去りにしていった・・・その結果だ。

今から16年前、その山に置き去りにされた犬たちの惨状を目のあたりにし、「見て見ぬふりは出来ない」と今日まで長年にわたり、犬たちの救済活動をされてきた、一人のオーストリア人がいる。
その人がマルコ・ブルーノさんだ。

はじめて山に案内していただく日、現場に一番近い高速のインターでマルコさんと待ち合わせをした。
そのときに見たマルコさんの車の状態で、どのような場所か少し想像は出来ていたが、実際ものすごいところであった。

山に入る前のところに自分の車を停め、マルコさんのワンボックスに同乗させていただいた。
中には人なつっこいマルコさんの愛犬が2匹乗っており、私が乗り込むと同時に一匹が膝に両足と頭をのせてきた。かわいかったな。

マルコさんの運転でいざ山道をのぼりだす。
うっかりボケっと口を開けていると舌を噛み切りそうな凸凹道に、体ごとシートの上でバウンドする。
しかしワンコたちは絶妙にバランスをとっている。スゴイな!
轍がひどく、一度はまったらどうにもやっかいなことになりそうだ。
あちこちから飛び出した枝がガシガシ車をひっかく。
申し訳ないが、正直自分の車でなくてよかったと思った。
それでもなんだかそのときに、きっとまたここへ自分で来る、と予感していたので、マルコさんの運転を観察しながら、その山道の攻略法などを頭でイメージしていた自分を記憶している。


着いた・・・。

・・・・。

(絶句・・・)


ものすごいところに、ものすごい数の犬であった。











-つづく-




2010/04/12

山梨 犬捨て山 Ⅰ



歩くことも自転車に乗ることも大好きなのだが、車も好きだ。
エコに反した乗り物ではあるが、住んでいる場所の条件によっては、たいへん助かる文明の利器であることは、やはり否定できないと思う。
私も生活上ありがたくお世話になっているひとりである。

結局、車がどうしても生活の一部になるのであるなら、その選び方も自分なりにこだわるところがでてくる。
異性との出会いにどこか似ているかもしれない。

会ったときにビビッっとしたものを感じる。
実際に話をしてみる。
よい印象をもてば、もっと相手のことを知りたいと思う。
さらにこのままずっと一緒にいたいなーと思い、おつきあいが始まる。

そんなような・・・?

もちろん人間同士の場合は、相手にも意思があるのだから、もっともーっと複雑だ。
ゆえにこれ以上先は例えようがないのだが。


さて、スズキ ジムニーの話になるが、以前、5ナンバーのジムニーシエラに乗っていたことがある。
インターネットで見つけたこの中古車が気に入り、横浜から電車で千葉の主水大橋というところまで取りにいったのがなつかしい。
まさに一期一会のご縁であったが、とても感じのよい担当の方だった。お元気だろうか・・。






 

 
 


この車を買うに至ったのにはワケがある。
一冊の本との出会いがきっかけであった。


なぜか、どこでこの本のことを知ったかは覚えていない。
しかし読んだときの内容はたいへんショッキングなものだった。

日本にこんな場所があるのか?!!
とても信じたくないことだったが、ほんとうだった。

その後、本の著者であるマルコさんとお話しすることができ、その「信じたくない場所」へ何度かボランティアで行くことになるのだが、そのときに活躍したのがこのジムニーシエラだった。



-つづく-







2010/04/09

Donkey Sanctuary

 
イギリスに住む親戚が、Donkey Sanctuaryに一泊150ポンドを支払って、ドンキーのお世話をするという体験をしてきたそうだ。

Donkey Sanctuaryとは、虐待にあったり、親をなくしたなどの、悲しい境遇にあったロバとラバを保護している施設だ。

HPの写真のMaryは、去年12月、北アイルランドの市場で、福祉役人Ms.Marie McCormack によって発見された。
施設に到着したときには、3日間立ち上がることが出来ないほどに衰弱しており、過酷な環境で重労働をしいられたことにより、Maryの脚は、痛々しく異常に大きくなってしまっていた。
さらに悲しいことに、周囲の懸命な努力も報われず、苦しんだ末に彼女のお腹のこどもは亡くなってしまった・・

いまMaryは元気になり、少しづつ歩くことも出来るようになってきたそうだ。

Mary,ほんとうにほんとうにおつかれさまでした。
Donkey Sanctuaryで幸せに暮らしてね。


______________________________



ロバ(手前)とラバ(奥) Donky & Mule




ネドです。よろしくね♪ Hi, I'm Ned. Nice to meet you♪




部屋のお掃除 Cleaning up their rooms




ごはんのお世話 Feeding the donkeys




もう仲良し! We're good friends! 
  
  
  
  

2010/04/06

器物損壊事件 -ヤギのアトム- Atom The Goat

 
動物愛護先進国ヨーロッパの国によっては、飼い主に出会えなくとも、生涯世話をしてもらえる動物のためのシェルターがあったりするが、日本ではあまり聞いたことがない。
個人のボランティアさんが、一時預かりのつもりが結局最後まで・・というのはあるかもしれないが、そういった組織運営のシェルターの存在は少ないと思う。

まず今の日本にそういった施設運営に対して、国の理解と支援を願うのは、残念ながらまったく期待できないだろう。

日本で動物はいまだに「モノ」だ。
物は物でも生き物てはなく、物品の物。
たとえば迷子なら「拾得物」
死んでしまったペットは「廃棄物」
人間が動物にケガをさせたり、殺した場合の罪をなんと言うか・・・?
答えは「器物損壊」である。

そこに命への尊厳と配慮はまったく感じられない。

このような矛盾した法のもとで、子供たちにに命の大切さを教えようなど、まやかしもいいところではないのか。


昨日のニュースに出たこの事件がまさにこの例だ。

________________________

=NPO飼育のヤギのアトム、角2本折られる=

(略)
 「ヤギ自体は肩から上が(血で)真っ赤。ハンマーか何かでひっぱたいたんでしょ。(角の)片一方はまるっきり根元から(折れて)、頭がい骨が見えるほど」   (NPO法人「都川の環境を考える会」 武部功理事長)

 「アトム」は近くの千葉市動物公園に運ばれ治療を受けましたが、角2本が根本の部分から折られていました。シバヤギの角は頭蓋骨と直結しているため、根本の部分には血液が通っており、大出血してしまったといいます。一体、誰が何の目的でヤギの角を折り、持ち去ってしまったのでしょうか。

(略)
 漢方として珍重される鹿の角とは違い、ヤギの角にはそれほどの価値はないのではと、獣医は話します。さらに、鹿のように角がはえ変わることがないため、アトムは角のないヤギとして一生を送ることになります。

現在、落ち着いた様子を取り戻しているというアトム。精神的なダメージもあり、治療には最低1か月以上かかるということです。被害届を受けた警察は、器物損壊事件として犯人の行方を追っています。

_________________________  
 
 
アトムがどれほどの痛ましい傷を受けたかを生々しく詳しく伝えているわりに、獣医のコメントもなにかピントがずれているし、昨今こういった事件を頻繁に生み出している社会へのメッセージが何も伝わってこない。


動物たちが「生きているもの」として権利を得られる未来への道のりはまだまだ長いと、どこかうつろな気持ちになった・・・。


ガンジーの言葉である。

「国家の偉大さとモラルの高さはその国の動物に対する扱い方で判断できる。」

  




頭に包帯を巻いたアトム  
  
  

2010/04/04

うなづけること - THE COVE -

 
今朝の新聞でこのような投稿を読んだ。


隠し撮りも米国流の「自由」

ピアニスト 鈴木 美穂子 (米国 45)

ニューヨーク在住22年になるが、米アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した「ザ・コーヴ」の隠し撮りを巡る日本人の反応に、正直驚いている。

まず触れておきたいのは、欧米の動物保護の問題を扱ったドキュメンタリーは隠し撮りをして制作されたものが大半であるということ。動物虐待の事実をカメラに収め、証拠をつかんだうえで公に暴露せねば信憑性がないためだ。

例えば、隣人が飼い犬に体罰を与えているのを目撃して「よそのウチのことによけいな口は出すまい」と見て見ぬふりをするのが日本人なら、メディアに訴えて大騒ぎするのがアメリカ人だろう。もちろん彼らの言動には矛盾はある。じゃあ牛や豚は殺して食べてもよいのか、という日本側の言い分はもっともなことだ。

ちなみに監督のルイ・シホヨス氏はベジタリアン。アカデミー賞で「ザ・コーヴ」と同じ部門にノミネートされた「フード・インク」という映画はアメリカ国内の工場式畜産と食用動物の惨状をアメリカ人の監督が隠し撮りで描いたもの。他人であろうと自らであろうと容赦なく批判するーーーそれがアメリカ流「言論の自由」なのだ。




 
 
 
 

2010/04/02

ドリームボックス Dream Box

 
いちどセンターに運びこまれたが最後、施設にもよるが、飼い主自身がつれてきた犬や子猫の場合は即日。迷子だとしても通常4日~1週間後には殺されてしまう。

命がつながる可能性があるのはたった数日間。
無事に飼い主の元へ帰れるコはわずかだ。
首輪がついて人になれた飼い犬でも、肝心な鑑札札がついておらず、飼い主からの問い合わせもなければそこから出れることはもうない。
誰も迎えにきてくれない犬や猫たちは冷たいコンクリートのうえで、待ち受ける死の恐怖に怯えながら過ごす。

「安楽死」などではない。二酸化炭素ガスによって窒息させられる。
地獄の苦しみだ・・・。
いまはオートマティックになっていて、入れられたケージごとベルトコンベアー式にガス室に向かって一つづつ移動する。
耳を疑うがそのガス装置を「ドリームボックス」と呼ぶそうだ。
やはりアウシュビッツのゲートに書かれた「自由になれる!」という〝うそ〟と同じだ。
そこへ入れば夢の国が待っているというのか?

最後に犬たちは「ドリームボックス」と通称「プッシュ」という壁に挟まれるかたちで追い込まれる。
動き続ける壁の内側で、叫び、足をばたつかせながら最後の最後まで抵抗するが、その必死の抵抗も鉄の壁の力には及ばない。

そして死へのボタンが押され、二酸化炭素ガスが注入される。

中での様子は、まともな人間であれば、それがまさしく地獄絵図だということが想像できるであろう。

最後は職員の目視によって全ての犬の死を確認するということだが、
若く体力のある犬などは、死にきれないまま焼却炉へ入れられ焼かれることもあるという。
自治体によってはセンターで職員がその光景を目にすることのないよう、外部へ委託しているところもあるそうだ。

さらに耳をおおいたくなるが、地方によってはドリームボックスを設置するコストの問題なのか、残虐な真空殺という内臓を破裂させて殺す方法や、撲殺するなどの方法がとられているそうだ。


あぁ、神様!


 
 
 
  
  
 




2010/04/01

動物保護センター Animal Shelters In Japan

 

地球生物会議ALIVEがまとめた平成20年度のデータによると、飼い主自らの手で、または捕獲されて保護センターに運びこまれ、ガス室に送られる犬猫たちは286,492匹、前年と比べて2,4万匹減少した。10年前は555,000匹以上だったのだから、たいへんに大きな進歩なのだが、それでもまだまったく喜べない数字だ。

全国にある動物保護センター。
「保護」を辞書で調べると、危険・脅威・破壊などからかばい守ること、ってある。

はっきりいって動物を殺す場所なのに、なぜ保護センターと称するのか理解しがたい。
中には「愛護」「管理」におきかえている所もあるが、結局は同じこと。
敷地の看板に可愛らしくほほえむ動物たちの絵まで施されているところもある。
化粧をしてイメージづくりしている場合ではないのだが。

しかし一方では、熊本県の愛護センターでの例など、さまざまな取り組みに尽力されてい多くの職員の方々が全国にいらっしゃり、そういったセンターが存在するのは大きな希望の光だ。

また2006年の動物愛護法一部改正にともなってか、動物愛護の啓蒙活動も徐々に増えてきているようなので実りを心から祈っている。


センターには、迷子犬や不幸にも野良として生まれてしまった子猫たちのほか、一度は家族として迎えられたペットがその家族の手で運びこまれてくる。

その理由はさまざまだ。


・吠える

・噛みつく

・言うことをきかない

・引っ越す

・ペットが病気または高齢で世話ができない
        /かわいそうで見ていられない

・自分が病気または高齢で世話ができない

・人間の赤ちゃんが生まれる

・家族にアレルギーがいる

・思っていたより大きくなった

・飽きた!!???


・・・・。



だから殺すの?


納得しようのない理由のほうが多い。