毎週注文している某宅配サービスの注文カタログに
先週この広告が一緒に入っていた
(ちなみに動物たちの涙は加工)
子供の頃にサーカスを観に行ったことがある方もいらっしゃると思う。
子供は無邪気に喜んで見るものであろう。
私も、いつだったかも覚えていないのだが、どこからかチケットがまわってきて、リングリングサーカスに行ったことがあるが、漠然とした記憶しかない。
ということは、そのときは何も感じず何も考えずに見ていた、ということである。
今日ここでお話したいのは、サーカスといっても、動物のサーカスについてである。
私の人間的な成長、といえるのかもわからないが、その後動物への思いやりが深まっていき、人間のエンターテイメントのために利用されている動物たちについても、自然と無関心でいられなくなった。
のちに動物を使ったサーカスというビジネスの裏側を知り、過去に一度でも出かけて行ったという事実を、いまは恥じているくらいだ。
もしいま自分に子供がいてせがまれても、決して連れて行くことはないであろう。
そして子供にきちんと話して聞かせ、理解してもらえるよう努力するつもりだ。
サーカスで芸をさせられる多くの動物たちは、こどもの頃に野生の世界から捕えられ連れてこられる。
彼らは狭いコンテナの中に閉じ込められ、長距離を移動させられ、見世物として生きていく。
熱く空気のうすいコンテナでの移動中に命を落とすことも少なくない。
ご承知のとおり彼らは動物だ。
自ら志願してサーカスに入団し、自ら磨いた技を観客に披露することで喝采を浴びたいわけではない。
それによって収入を得て家族を養うためでもない。
あくまでも人間に捕らわれたのである。
極限のストレスからサーカス団員や、観客に襲いかかることもある。
サーカステントからの脱走を試み、射殺される象もいる。
なぜそうなるのか・・・答えはかんたんだ。
みなそこにいたくないのだ!
広大な森と大地に帰りたいのだ。
そこで彼らは生まれ、そこが本来彼らの生きていく場所なのだ。
私たちが今日突然自由を奪われ、家族から引き離され、コンテナに閉じ込められ、知らない土地に連れ回され、言うことを聞かないと痛めつけられる。
そんな生活にひきずりこまれたら、どうなるであろうか。
人間に対する、拉致・監禁・虐待はときには政治的な問題にまで発展する深刻な事件である。
しかし、こと動物たちに対してはそれが許されているのだ。
いつになれば、彼ら動物たちが、私たちと同じように感情を持つ生き物だということを理解してもらえる日がくるのだろうか。
人間など簡単にしとめられる大きな体や牙を持ちながら、動物たちがなぜそうしないのか。
なぜ人間のいうとおりに、したくもない芸をするのか・・・。
それは怖いからである。
相手の脅威を知っているからである。
相手が手にしているもの(ムチ、スタンガン、鉤状の調教棒など)が、自分に大きな苦痛を与えるものだと知っているからである。
囚われの身となったあと、人間のいうことを聞かなければ、痛みを与えられる、食べるものは与えられない、という「罰」を彼らは思い知らされるのである。
痛みと飢えへの恐怖から、芸を叩き込まれるのである。
これがサーカスに捕らわれた小象を待ちかまえる運命である
「罰」せられるべきはどちらなのかは、火を見るよりも明らかだ。
野生の象が、体に隠れてしまうほどの小さな椅子に座ったりするだろうか。
野生の熊が、自ら自転車やオートバイに乗ったりするだろうか。
野生のトラが、本来恐れる火の中をくぐったりするだろうか。
「動物サーカス」、それは人間特有の歪んだ娯楽欲求を満たすための残酷な見世物でしかない。
シルク・ドゥ・ソレイユのような動物を苦しめることなく、楽しめるサーカスもある。
ぜひそのような、やさしいサーカス団の公演を、楽しんでいただきたいと思うのである。
最後に貼らせていただいた下のリンクの映像は、動物愛護団体PETAがビデオにとらえた、サーカス舞台裏で行われている動物への暴力の実態です。
Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circus
(英語サイトですが、映像だけで十分に伝わってくるものです。)
-サーカスに捕らわれている動物たちが、一日も早く苦しみから解放される未来を願います-