工場式畜産がいかに残酷な非人道的方法であることかについては、6/15の投稿でご理解いただけたと思う。
私にとって、今日の投稿もとても書くのがつらい。
しかしどうしても伝えたいことなので、気持ちをふるい起している。
今回は PETAのものも含め、画像を多く載せた。
やはりこれらもまた真実であり、現実に今日も起こっている悲劇なのである。
(最後まで読んでいただければ感謝いたします。)
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牛・豚・鶏たちは、飼育過程でさまざまな肉体的苦痛を強いられることになる。
動物に電気ショックを与え動かす突き棒(Electric Shock Prod)
畜産場、ロデオ、サーカスなどで使われる
子牛子豚たちは麻酔なしで
睾丸や尾を切り取られ、焼き印を押される
ひよこたちは、互いを傷つけないよう
口ばしを機械で切り取られ
羽の手入れすらできなくり、皮膚病にもかかる
限られたスペースに、これでもかと押し込まれ、
羽はボロボロ、皮膚や骨はむき出しになり、
当然病気にもなれば圧死する鶏もいる。
用なしとみなされた雄のひよこたち
ときには生きたままポリ袋に詰め込まれる。
もうじゅうぶんだ!と思われるであろう。
しかし動物たちへの暴力はこれだけで終わらない・・・
こうした飼育作業の過程で行われる残酷な行為に加え、多くの畜産農場で、従業員による動物たちへの野蛮な虐待が横行している。
蹴飛ばす?
棒でなぐる??
・・・そんなものではすまない。
覚悟して聞いていただきたい。
これらは「実際に」「現実に」、動物たちに行われている蛮行である。
鶏を口ばしから引き裂く
目にたばこをおしつける
ブロックを頭や体に落とす
大音響で音楽をかけ、山積みにした生きた鶏の上で踊り狂う。
悪態をつきながら踏みつけ、蹴りあげ、半殺しに・・・
このようなことを羅列するのは私の悪趣味でもなんでもない。
こうして書いていても、いま自分の頭から血の気が引いていくの感じている。
それでも、ある「使命」のようなものが私に書かせているのだと思う。
しかし現実は、私がこれ以上ここではもう文字に表せないような光景もあるのだということも、ぜひ知っていていただきたいのである。
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この中西部の養豚場では、潜入調査により、日常的に虐待が行われていたことが発覚した。
ここでは画像だが、現実に向きあう勇気をもてる方は、PETAのサイトへいって動画を見ていただきたい思う。
いかなる理由でも撲殺は協会によって禁止されているが、ここでは日常的に行われていた。
撲殺のほか、小さな子豚などは床に叩きつけるなどして殺していた。
当然即死できるわけがない・・・。
逃げまどうこの若い豚は体が小さすぎるという理由だけで、
二人がかりで踏みつけられこのあと無理やり命を絶たれた
病気や弱った豚は集められ、そのまま放置され餓死させられる
この写真の豚はこの時点でまだ息をしている
健康な豚を含め、ここでは一切獣医の診察を受けさせていなかった
別の養豚場のこの豚は、看護を受けていた従業員から
30秒以上にわたり、鼻腔にカラースプレーを吹きつけられた
まともに世話も掃除もなされず
排泄物にまみれた畜舎でへたりこむ子牛
家族ぐるみで牛たちに暴力をふるい続けていた酪農家も発覚した
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こうした犠牲になる動物たちは、自分たちの運命をどうすることも出来ずに、苦痛の連続の果てに殺されてゆく。
私たちが今すぐそこへ駆けつけて、動物を助け出すことはできない。
しかし、離れた所から一匹でもそうした悲劇から動物たちを救うことができる唯一の方法がある。
わたしたちには「肉を食べない」という選択肢があるのだ。
今すぐやめることが出来なければ、明日からでも。あさってからでも。
それが難しければ、まずは減らすことからなら始められないだろうか。
半分に。
三分の一に。
家畜として生まれ、虐待を受けても何の不満もなく、その日が来たら吊るし上げられ、喉にナイフを入れられもがき苦しみ、世界中のスーパーやレストランに並べられることを喜びとする動物がはたしているだろうか。
動物にはみな、自然に生まれる場所があり、暮らす場所があり、生きる権利があるはずだ。
これは自然が招いた悲劇ではない。
私たち人間が自分たちだけの利益のために、動物へ強いている悲劇なのである。
現在、日本の牛肉の輸入は60%近く、豚肉の輸入は70%以上もの量である。
自分一人が始めても、どうせ世界は変わらないから・・などと、どうか思わないでほしい。
ー 自分が変われば世界は変わるのだ -
肉食をやめるということは、時代に逆らうことではない。
むしろ豊かになり過ぎた国に暮らす飽食病にかかった私たちが、地球と生き物へ加えつづけてきた暴力の反省を、未来へと生かすという進んだ考えなのではないか。
一人一人が、今からでもそうした積み重ねを実行/継続/努力していけば、いつか必ずこのように苦しめられている動物たちの解放につながる世の中がくるはずなのである。
何も知らずに生まれてくる未来の子供たちのためにも、命への暴力ではなく、愛と思いやりを教える社会であってほしいと、心から願うのだ。
映画「シャーロットのおくりもの」のワンシーン