2010/06/30

The Peeing in The Shower Campaign


「おしっこするならシャワー中に」



(これはジゼルのサンダルの広告です)



【サンパウロ=平山亜理】  from Asahi.Shimbun

世界で最もリッチなスーパーモデルとして知られるジゼル・ブンチェンさん(29)が水洗トイレの使用によって水を無駄にしないため、「シャワーの最中におしっこをしよう」と自らのブログなどで呼びかけ、話題になっている。
ブンチェンさんは「地球環境を守るために、自分の出来ることをしよう」と訴え、「食用油を流しに捨てない」「紙は両面を使う」などを提言。その一つとして「19人がシャワー中におしっこをすれば、年間で8万3220リットルの水を無駄にしないですむ」とアピールしている。
 ブンチェンさんはドイツ系ブラジル人のモデルで、米国を中心に活躍しており、総資産が約165億円ともいわれる一方、環境問題のキャンペーンにも熱心に取り組んでいる。


(以前、某番組で女医タレントの西川史子さんも同じ理由からそうしているといっていた)


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海外では、セレブたちの環境保護や途上国支援活動、慈善事業に積極的にかかわることへの意識が高い。

財団や基金をつくり、個人資産の一部をそのようなかたちで社会へ還元するということもめずらしくない。

海外と比べてしまうとまだ少ないが、日本でも、ダルビッシュ・有さんが途上国の水供給のための基金「ダルビッシュ 有 水基金」や「ダルビッシュ有 子ども福祉基金」、藤原紀香さんが、カンボジアの子供たちを支援するための「JHP・藤原紀香カンボジア子ども教育基金」を設立されるなど、他にもビート・たけしさんや、楽天の三木谷社長など、さまざまに取り組んでいるセレブたちがたくさんいる。すばらしいなと思う。


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そういえば、ジゼル・ブンチェンの元カレはレオナルド・ディカプリオだった。




レオはベジタリアンで知られているが、14才のときにマックでビッグマックを食べているところをスカウトされたジゼル、現在はセミベジタリアンのようだ。

その後NFLのスーパースター、トム・ブレイディと結婚、一児をもうけた。





 



 


2010/06/29

6/30 動物関連番組のお知らせ (関西ローカル)

 
6月30日(水) MBSテレビ(関西ローカル) VOICE(ヴォイス) 18:15~

ヴォイス特集

学校飼育動物の現場。
学校は教師は、子ども達に小さな命のぬくもりを伝えられているのか!?  (仮タイトル)


こちらで学校飼育動物についての放送があります。
ニュース番組内での10分ほどの特集です。

本来、命の大切さを教えるために、飼われているはずの学校飼育動物ですが、予算もなく、飼育の専門家もいないというのが現状です。

3,4年ほど前に、大阪府の教育委員会が、各学校に実態調査を行ったところ多くの学校で、土、日の休日には餌や水を与えていない事が明らかになりました。

ずさんな飼育方法で、命の大切さや、動物を飼う事の責任を、子ども達が学べるはずはありません。

今回、取材班は、命の大切さを教えるという大義名分にまったくそぐわない現場を長期間にわたっ徹底した取材をしています。

ぜひご覧頂き、皆様の地域の学校飼育動物にも関心を持って頂きたいと思います。

また、番組あてに意見や感想なども送って下さい。

今回、ウサギが取材の中心ということで、ウサギがたくさん犠牲になっている化粧品の動物実験や毛皮ファッションについても、番組で取り上げて欲しいという要望など。

ちなみに、意見は、難しいものではなく、率直に感じたことを送って頂くだけで十分です。

これからもどんどん、動物問題が取り上げてもらえるようにご協力お願いします。


VOICE

http://www.mbs.jp/voice/

ご意見・ご感想はコチラに→ voice@mbs.jp


**** 転載歓迎 ****

THEペット法塾 http://petlaw.web.fc2.com/





 
 
 
 
 

2010/06/26

伝説のスピーチ A Legendary Speech

 
『伝説のスピーチ』といわれる心を打つこのスピーチは、今からおよそ20年前にリオデジャネイロで開催された、 国連環境サミットで発表されたものです。

満場の拍手喝采を博したこのスピーチをしたのは当時弱冠12歳のカナダ人の少女、Ms. Severn Cullis-Suzuki セヴァン・カリス=スズキさんです。

私は12歳の少女の、地球とそこに暮らす生命への思いと、未来への希望、大人への心からの叫びと願いに耳を傾けながら、感動すると同時に悔しさのようなものがこみあげてきて涙がでました。

20年たった今、地球が、世界が、社会が、この少女の切実な願いを裏切るかたちで、反対へ向かっているということを、真剣に考えさせらます。

エヴァンさんは、現在も環境保護活動にかかわっておられるようですが、あの日のスピーチから20年たった現在のこの世の中を、どのような気持ちで見守っているのかを、ぜひ伺ってみたいという思いです。


ぜひお聞きください。




セヴァン・カリス・スズキ - 環境サミット1992




私がここに転載させていただいたこのビデオの転載元である「猫とヴィーガンな生活」で、このスピーチに加えて、1993年4月のグローバルフォーラム京都会議にて述べられた、セヴァンさんによる閉会の辞の和訳文も載せてくださっています。
合わせてご覧いただければと思います。





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2010/06/25

Roger The Pet Pig

 
さて、今日はかわいいRogerの紹介です。

オハイオ州のこの養護老人施設では、毎朝ごはんの時間になると、かわいい人気者がカフェテリアでお年寄りたちを迎えてくれます。

名前はロジャー。
この生後5ヵ月の子豚は、赤ちゃんのときに、飼っていた女性が事情で飼えなくなり、里親探しをしていました。

ちょうどお年寄りたちのマスコット的存在となるペットを探していた施設の管理者が、このコがすでにトイレトレーニングもすんでおり、体も小さく、お年寄りたちにアレルギーを起こすことがないということで、この子豚を施設に迎えることにしました。

現在ロジャーは毎日フルタイムでホームのお年寄りたちにご愛嬌をふりまいています。

眠るための自分専用のサークルも用意されていますが、サークルにいないときは、ホールも中庭も自由に歩き回ることができます。

ここはたいへん評判のよい施設で、入居者のお年寄りにとって、さまざまな快適な設備が整えられおり、敷地内には野鳥もいて、ロジャーはひとりでよく鳥たちに会いにいくそうです。

これまでロジャーに対して入居者から苦情が出たことは一度もありません。

ロジャーはみんなの注目の的なのです。

通りがかりの人までもが彼に会いにくるくらいですから。




Roger ☆






 
 
 
 

2010/06/20

List of Vegetarians


Click here ↓



「私はずっと動物が好きだったわ。あの(動物虐待)ビジネスは無慈悲よ。だからPETAはあえて危険に身をさらしても闘っているのよ。」




プラトン 427b.c. - 347b.c.

「神は人間の体に栄養を補給するために、木と植物と種を創造した。」

肉食が始まったことによって戦争が起こった、と解いた。
菜食主義を理想国家のモデルとして推奨。


レオナルド ダ ヴィンチ 1452 - 1519

「私はかなり若い頃から動物を食べるようなことは絶対にしなかった。動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。人間がこのことを認識する日はいつか来るだろう。」

自然や芸術を愛するが故にすべてのものの中に生命を見出し、動物の肉、魚、卵、チーズ、ミルク、蜂蜜などの動物性食品を一切食べない。


ベンジャミン・フランクリン 1706 - 1790

「私は肉食を忌避してきたので、時には不便な思いをしてきた。この特殊な性癖のためによく叱られたのである。しかし、軽い食事のおかげで、私は頭脳がより明晰になり、理解力も早くなって、大変な進歩を遂げる事ができた。」


 レフ・トルストイ 1828 - 1910

「動物からもたらされた食物を神が許したという風に信じさせられた結果、人々は動物を食うことを悪いことだと考えない。が、これは間違っている。
たとえいかなる書物に動物を殺したり食ったりすることが罪悪でないとかかれていようとも、それ等のいかなる書物におけるよりも遙かにはっきりと、動物をもわれわれ人間と同じように憐れんで、これを殺したりしてはならないと言うことが、人間の心の中に書き記されているのである。
そして我々は自己の内部の良心を殺さない限り、みなその事を知っている。」


リヒャルト・ワーグナー  1835 - 1917

「もし現代の社会主義が、ベジタリアン、動物の保護者、禁酒の友という三者と、真に心からの連携を結ぶことができるなら、そして強い内的な理由があれば、我々の国家社会は、現代の社会主義でさえも十分注目に値する、と見なすであろう。」


マハトマ・ガンジー 1869 - 1948

「肉食は我々人間に適さないと私は考えています。もし人間が動物よりすぐれているというなら、人間は下等な動物の真似をするという過ちを犯していることになります。」


アルベール・シュバイツアー 1875 - 1965

「動物を食べることは私の信条に合わない。だから、私は絶対に肉食をしない。」

「生きとし生けるものすべてに、慈愛の輪を伸ばすまで、人は自身の中に平穏を得ることはできない。」


アルベルト・アインシュタイン 1879 - 1955

「菜食がもたらす情緒面での変化並びに浄化は、人類に対して非常に多くの利益をもたらすと考えます。したがって菜食は人類にとって非常に幸多き、平和なことなのです。人類は菜食をすべきです。」

「菜食主義への移行ほど健康と長寿に有効な方法はない。」


マック・ダンジグ(総合格闘家)

「13才の時、ブタがトラックに詰め込まれて屠殺場へ送られるのを見た。その中の一匹と目が合い、しばらく目が離れなかった。俺の記憶の中で最も悲しい瞬間だった。死を覚悟したすさまじい知性と精神の強さを彼はもっていた。」


ジョナサン・サフラン・フォア (作家)

(「最終的に全ての人がベジタリアンになると思いますか?」という質問に)「畜産工場の排斥が起こる可能性は十分ある。たぶん僕が生きているうちに起こるだろう。今トレンドは肉からどんどん遠ざかってきているしね。」


オーランド・ブルーム(俳優)

「僕は食べ物になるとうるさいんだよね、グルメだから。もちろん肉が入ってないことが条件だけど。」


クリント・イーストウッド(俳優、映画監督)

「ビーガンであり続けようと努力してるよ。フルーツ、野菜、豆腐、豆製品をいっぱい摂ってね。」


リチャード・ギア(俳優)

「動物愛護キャンペーンが鬱陶しいだって?バカじゃないか?屠殺場の大量殺戮ほどひどいものはないだろ。」


ブラッド・ピッド(俳優)

「肉なんか目の前に置かれたくないね。」


ナタリー・ポートマン(女優)

「9歳の時に見た鶏のレーザー手術のドキュメンタリーを観て以来、肉も魚も口にしていない。ただ動物が好きだから価値観に従うまでです。絶対に食しません。」


キャメロン・ディアス(女優)

「キューバの血が入ってる彼女はポーク愛好家を自負してたけど、3年前にやめたそうだよ。ブタに3歳児ほどの頭脳があることを知って、『なんてこと!私の3歳の姪を食べるようなものだわ!』って言って彼女の大好物ともさよならしたんだ。」


シャーリーズ・セロン(女優)

「私の国では飢餓もエイズもすごかったわ。でも私はまずレイプ撲滅運動から始めたの。誰も関心を持っていなかったから。ママがよく言ってたわ、発言できないものの為に闘えって。だから今動物のために闘ってるのよ。」


アリシア・シルバーストーン (女優)

「私がヴィーガンになったのは、政治的、そして倫理的理由のためよ。すごい決断だと思ったけど、どうしてもそうしなければならなかったの。だってもうこれ以上、世の中の暴力に加担したくなかったもの。」


シャーロット・ロス(女優)

 「私たちはみんな動物虐待に反対してるわ。でも時々、畜産場の動物たちも同じようにひどい目に合わされて苦痛を感じてるってこと、忘れがちよね。あの子たちだって同じ保護を受ける資格があるわ。」


ジェニファー・コネリー(女優)

 「うちはみんな菜食なの。こう言うとつまらない人だと思うでしょうね。でも私たちは食べ物より愛に忠実なの。だから菜食にしましょうよ。」


コンスタンス・マリー(女優)

 「『セレーナ』の撮影の時、鶏を5時間も捕まえてなきゃならなかったの。心臓の鼓動を感じたとき、私の手の中でぐっすり眠ってしまうのを見たとき、猫との違いは何?って思ったのよ。」


ポール・マッカートニー (ミュージシャン)

 「メジャーな環境保護団体のほとんどが、地球温暖化を食い止めるトップリストから菜食だけを外しているのは本当に驚きだね。」

「みんなグリーンになる(環境保護に努める)だけじゃなく、イート・グリーン(菜食)になるべきだよ。」

「各自が自分たちの生活の中でできる最大の環境保護活動が、ベジタリアンになることだと思うよ。」


ヘザー・ミルズ(P・マッカートニー元妻、元モデル)

考えたらわからない?肉や乳製品のロビイストたちは、私たちが買うことで莫大な利益を得ていて、彼らは私たちの健康も、自分たちが地球を汚染しているってことも全く興味ないのよ。彼らの関心は目先の利益だけなのよ。ビーガンの人たちは素晴らしいわ。この世で最も優しい人たちよ。


アブリル・ラビーンミュージシャン)

 「私はビーガン(完全菜食)よ。ヨガも毎日やってるわ。こうすることで身も心も完全にスピリチュアルでいられるのよ。」


リトル・ブラザー (ラッパー)

「人間が虐待されるべきでないように、動物だって虐待されるべきじゃないんだ。」「一週間肉をやめてみて、この生活が気に入ったんだ。2度と戻らないよ。」


ジャ・ルール(ラッパー)

「オレも牛を殺さないのに賛成だ!牛肉嫌いなベジタリアンみんなに声援だぜ!」


ロン・レーガン(俳優、レーガン大統領の息子)

 「小さな動物たちをひどい目にあわせるのは反対だ、どんなにその毛皮が美しいからって。食品業界だって同じ虐待者だ。牛に鶏に豚に、特に子牛、動くこともできない小さな檻に入れられて、惨めな短い生涯を送らせられる。」






 
 
 
 
 
 

2010/06/18

畜産動物の悲しみ Ⅲ

 
工場式畜産がいかに残酷な非人道的方法であることかについては、6/15の投稿でご理解いただけたと思う。

私にとって、今日の投稿もとても書くのがつらい。
しかしどうしても伝えたいことなので、気持ちをふるい起している。

今回は PETAのものも含め、画像を多く載せた。

やはりこれらもまた真実であり、現実に今日も起こっている悲劇なのである。


(最後まで読んでいただければ感謝いたします。)


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牛・豚・鶏たちは、飼育過程でさまざまな肉体的苦痛を強いられることになる。



動物に電気ショックを与え動かす突き棒(Electric Shock Prod)
畜産場、ロデオ、サーカスなどで使われる

 

子牛子豚たちは麻酔なしで
睾丸や尾を切り取られ、焼き印を押される



ひよこたちは、互いを傷つけないよう



口ばしを機械で切り取られ



羽の手入れすらできなくり、皮膚病にもかかる



限られたスペースに、これでもかと押し込まれ、
羽はボロボロ、皮膚や骨はむき出しになり、
当然病気にもなれば圧死する鶏もいる。



用なしとみなされた雄のひよこたち
ときには生きたままポリ袋に詰め込まれる。





もうじゅうぶんだ!と思われるであろう。

しかし動物たちへの暴力はこれだけで終わらない・・・

こうした飼育作業の過程で行われる残酷な行為に加え、多くの畜産農場で、従業員による動物たちへの野蛮な虐待が横行している。


蹴飛ばす?



棒でなぐる??



・・・そんなものではすまない。


覚悟して聞いていただきたい。

これらは「実際に」「現実に」、動物たちに行われている蛮行である。


鶏を口ばしから引き裂く

目にたばこをおしつける

ブロックを頭や体に落とす

大音響で音楽をかけ、山積みにした生きた鶏の上で踊り狂う。

悪態をつきながら踏みつけ、蹴りあげ、半殺しに・・・


このようなことを羅列するのは私の悪趣味でもなんでもない。
こうして書いていても、いま自分の頭から血の気が引いていくの感じている。
それでも、ある「使命」のようなものが私に書かせているのだと思う。
しかし現実は、私がこれ以上ここではもう文字に表せないような光景もあるのだということも、ぜひ知っていていただきたいのである。


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この中西部の養豚場では、潜入調査により、日常的に虐待が行われていたことが発覚した。

ここでは画像だが、現実に向きあう勇気をもてる方は、PETAのサイトへいって動画を見ていただきたい思う。

いかなる理由でも撲殺は協会によって禁止されているが、ここでは日常的に行われていた。

撲殺のほか、小さな子豚などは床に叩きつけるなどして殺していた。
当然即死できるわけがない・・・。


 

逃げまどうこの若い豚は体が小さすぎるという理由だけで、
二人がかりで踏みつけられこのあと無理やり命を絶たれた




病気や弱った豚は集められ、そのまま放置され餓死させられる
この写真の豚はこの時点でまだ息をしている

健康な豚を含め、ここでは一切獣医の診察を受けさせていなかった



別の養豚場のこの豚は、看護を受けていた従業員から
30秒以上にわたり、鼻腔にカラースプレーを吹きつけられた



まともに世話も掃除もなされず
排泄物にまみれた畜舎でへたりこむ子牛

家族ぐるみで牛たちに暴力をふるい続けていた酪農家も発覚した


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こうした犠牲になる動物たちは、自分たちの運命をどうすることも出来ずに、苦痛の連続の果てに殺されてゆく。

私たちが今すぐそこへ駆けつけて、動物を助け出すことはできない。

しかし、離れた所から一匹でもそうした悲劇から動物たちを救うことができる唯一の方法がある。


わたしたちには「肉を食べない」という選択肢があるのだ。




今すぐやめることが出来なければ、明日からでも。あさってからでも。

それが難しければ、まずは減らすことからなら始められないだろうか。

半分に。
三分の一に。




家畜として生まれ、虐待を受けても何の不満もなく、その日が来たら吊るし上げられ、喉にナイフを入れられもがき苦しみ、世界中のスーパーやレストランに並べられることを喜びとする動物がはたしているだろうか。

動物にはみな、自然に生まれる場所があり、暮らす場所があり、生きる権利があるはずだ。


これは自然が招いた悲劇ではない。
私たち人間が自分たちだけの利益のために、動物へ強いている悲劇なのである。


現在、日本の牛肉の輸入は60%近く、豚肉の輸入は70%以上もの量である。

自分一人が始めても、どうせ世界は変わらないから・・などと、どうか思わないでほしい。

ー 自分が変われば世界は変わるのだ -


肉食をやめるということは、時代に逆らうことではない。

むしろ豊かになり過ぎた国に暮らす飽食病にかかった私たちが、地球と生き物へ加えつづけてきた暴力の反省を、未来へと生かすという進んだ考えなのではないか。

一人一人が、今からでもそうした積み重ねを実行/継続/努力していけば、いつか必ずこのように苦しめられている動物たちの解放につながる世の中がくるはずなのである。

何も知らずに生まれてくる未来の子供たちのためにも、命への暴力ではなく、愛と思いやりを教える社会であってほしいと、心から願うのだ。





映画「シャーロットのおくりもの」のワンシーン





 
 
 
 
 

2010/06/16

She's a Veagan - Joan Jett





ジョーンのオフステージの素顔も加えておこう。タフなイメージとは裏腹に、アース・フレンドリーで、自然をこよなく愛す。樹木、草木、鳥、太陽、虫でさえも大切にし、リサイクルも積極的に行っている。照明も殆どつけず、暗い部屋で過ごすほどの徹底振り。さらに節水まで実施して、日常から自分の必要な物を最小限にしている。食生活でも、昔は血も滴るレア・ステーキを好んでいたが、今ではすっかりベジタリアンになった。    -WeROCK city より-







70年代にジョーンが所属したガールズバンド、
日本でも公開予定だ。














 

2010/06/15

工場式畜産 Factory Farming


古代ローマ、中世、現代に至るまで、人間だけがその知恵を駆使して、動物だけでなく同じ人間を残酷な方法で苦しめてきた歴史がある。

現在、畜産業界に導入されている、効率だけを追求したアメリカ式ともいえる工場式畜産。
牛、豚、鶏たちの命を、人間が利益を得るために搾取する単なる商品とみなした、残酷きわまりない拷問に等しい畜産方法だ。

動物福祉先進国のヨーロッパでは、すでに禁止されているものが多い。



いっさい緑すらないアメリカの巨大な牛農場
上空から見ると、この何倍もの大きさである



牛はクレーンでこの重い体を片足だけで吊りあげられる
それだけでも耐えがたい苦痛だ




乳牛も最後には食肉になるということをご存知だろうか



いま輸入肉はわたしたち日本人の食生活にも欠かせないものとなっていて、それらはすべて私たちの肉食の欲望を満たすためだけに、工場式畜産という残酷な方法で大量にコントロールされている命である。



横にもなれないこの木枠(クレート)の中で一生を過ごす豚
食肉用の子牛も同様であり、
その残酷性からEUでは使用が禁止されている



繁殖用の雌豚は妊娠中の約3か月もの間
ストールとよばれるこの枠に拘束され、
向きを変えることもできない



夜にも人口照明をあてられ、日に2度排卵を起こさせられる鶏
すし詰めのケージで2年もの間卵を産まされ続け、
力を使い果たしたとみなされると殺処分される



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The Farm Sanctuary's Virtual Experience  


このサイトでは畜産農場の現場をバーチャルで体験出来るようなっている。

残念ながら、こういった日本語のサイトはなかなか見つけることが出来ないので、どうか英語だからと面倒くさがらずに、翻訳ページを使ってでも、ぜひ覗いてみていただきたい内容のものだ。

なぜなら、今では輸入肉やこうした畜産方法は、私たち日本人の食生活に無関係ではないからである。


カメラを首からさげた女の子が畜産農場をレポートするという、アニメーションスタイルになっていて、画面の中に何カ所かづつクリックできるポイントがある。

ほとんどの動物の扱いについて説明されているので、ぜひ農場の隅から隅までを見学していただきたいと思う。

またれぞれの画面のはじめに出る、動物福祉への思いが込められた著名な人々の言葉も、ぜひひとつひとつ読んでいただきたいと思う。


前の投稿でも書いたが、肉食は人間の体にとって必要がないことが、現在はっきりとわかっているし、それどころか、心臓病・大腸ガン・乳ガン・子宮ガンなど、むかしの日本人にはなかった死因にもつながっているということも常識になっている。

じつは「キレる」「うつ」などの増加も、社会的背景のほかに現代の食生活が密接に関係している、ということがわかっている。
ホルモンのバランスが性格をつくるといっても過言ではない。

それでも「どうしても食べたい」という理由で肉を口にするのであれば、せめてバーチャルでも、その痛みと苦しみを伴って死んでいった動物たちの生涯をぜひ見届けてほしい、というのが私の願いだ。

そうすることではじめて「いただきます」という言葉がどれほどの重みを持つのかを真に理解出来るのではないだろうか。

いま私たちは「いただきます」を口にモノを頬張る前の決まり文句のように乱用してはいまいか・・。

実際、自らの手で野生の動物をしとめなければ、命をつなげない場所に暮らしている人々は、そういった命の重みをしっかりと受け止めているということが、その言葉や生活の中にうかがえる。

しかし私たち日本人が肉を食べるのは、そういった生きるか死ぬかの次元ではなく、これも繰り返しになるが、たんに「食の嗜好」としてなのである。

しかも、私たちがそれら動物を自らの手で育て、その成長を見守り、自らの手で殺めることはほとんどない。


「いただきます」と言っていただく命が、もともとはどのように生きていたもので、どのようにして食卓に並ぶのか・・・。

肉についても野菜や魚と同じように、ぜひそうした事実を知ってから、もういちどあらためて考え、食べるか食べないかの答えを出してほしいと願う気持ちでいる。










 
 
 
 
 

2010/06/13

She's a Vegetarian フジ子・ヘミングさん

 
フジ子・ヘミングさんの優しさと人間味あふれるエッセイ





動物愛護についてもふれている Click ↑








 
 

2010/06/09

畜産動物の悲しみ Ⅱ

 
 

幸福なことに、私たちの世代は、いつ空から爆弾が落ちてくるか、いつ家族や友人を奪われるかなどという心配などしなくてすむ平和の中で生きている。

さつまいもやかぼちゃだけを食べ続けた経験などないし、ましてや空腹で拾い食いや物乞いなどしたこともない。

終戦直後の食べ物がない時代から、ここまでの日本にする苦労すらしてきていない私たち世代が、気分しだいで和・洋・中、また麺類ひとつとっても、日本そばからパスタまで、とんでもなく贅沢な食の選択が出来る世の中だ。

テレビも、情報雑誌も、安くて旨い店、食べ放題の店、新しく建つビルに入る有名レストランやらスイーツ専門店の紹介などで、食、食、食のオンパレードだ。

中でも肉は、現代日本人の食生活に欠かせないものとなっている。

外食では、焼肉、焼きとり、とんかつ、しゃぶしゃぶ、ステーキ、ハンバーガー、フライドチキン、ラーメン・・・
家庭では、ハム、ウィンナー、ベーコン、ハンバーグ、肉の入ったカレー、シチュー、すき焼き、豚肉のしょうが焼、鶏のからあげ・・・

なのに、私たちがその命と肉をいただいた動物たちが、どのように生まれ、生き、殺され、加工されたかたちで店に並ぶのかを、ほんとうの意味で認識している人は少ない。

魚を三枚におろしたことはあっても、牛や豚を解体したことのある主婦はいないだろう。

″マグロの解体ショー″などという、残酷な見世物を売り物にしている寿司屋の広告を見たことがあるが、牛や豚の解体ショーいうのは聞いたことがない。


と場は高い塀で囲まれている。
そこでの仕事に携わる人たちの人権を守るために中での撮影は禁止だ。
その仕事に従事する人への差別へつながることからだという。

しかしじつは、人権を擁護している側の者も差別する側の者も、同じように肉を食べることでその需要を拡大しつづけることに加担しているわけだし、差別している者は、歴史からみても、自分たちのその差別意識こそが、そうした雇用の場をつくりだしてきているという自覚はない。

そのような問題を抱えた人間社会に巻き込まれてきた何の罪もない牛や豚たちが、刑務所のような高い塀の向こうで、誰の目にも触れず、誰の耳にも声が届かないところで、毎日オートマティックに殺されていく・・・。

私たち人間の飽くことなき食への欲望だけのために、だ。


先にBookmarksの中にあるサイトを訪れて、さらに中の映像へすすむ勇気のあった方は別として、
あえて私のブログの文中には、ワンクリックで、いきなりショッキングな画像が流れるようなレイアウトにはしていない。

ほんとうのことをいえば、そのように予告なしで全員に見てもらいたい、というのが本心だが、まず偏見をとりはらってから、納得の上で見ていただきたいという気持ちもあるのである。

そういった画像のオリジナルを見ることが出来るのは、動物愛護団体のサイトがほとんだが、動物愛護団体というだけで、“うさんくさい”と思われる方もいるであろう。

中にはそういった団体も存在するかもしれないが、それは動物愛護関係の団体に限ったことではないので、どうかそのような偏見は捨てていただきたいと思う。

私の場合は、それらのどの団体に属しているわけではなく、あくまでもブログという場で個人的に活動しているだけだが、自分のブログに載せるからには、それだけ真剣にそれらの団体を見極めたつもりだ。

その中で私なりに信頼出来るところをのせているので、どれほどショッキングな映像だとしても、それらはすべて「やらせ」でも「合成」でもなく、今この世の中で起きている「真実」だということだけは、強調して申し上げておきたい。

その真実の「ブラックボックス」は、自分の手で開けようと努めない限りは私たちの目にふれることはない。

私は自分の意思と手をもってそれを開けて確かめる勇気を持てたが、そう出来る人ばかりではないのはわかっている。

だからどうしても見たくない、見ることができないという人がいても仕方がないことだと思うが、そういった人たちにも、この一つだけはどうしても言葉で伝えたいことがある。

それは、私たちが、「いただきます」という言葉でどんなに感謝の気持ちを表したとしても、動物たちの耳にはその言葉はけっして届かないということだ。

食肉として生まれた牛や豚たちは、早くに親から引き離され、風の香りをかぎながらのんびりと草の上にに横たわることもなく、生きる喜びを知ることのないまま、最後は恐怖と苦しみの中で死んでゆく・・・。





屠殺場の壁がガラス張りならば、人々はみんなベジタリアンになるだろう。
                      - ポール・マッカトニー -



私はいちど聞いたことがある。

丹沢登山の帰りの夕暮れどき、行きも通った登山口付近まで戻ってきたところで、豚の絶叫が聞こえてきた。
その悲鳴からそれは数匹という数ではなかった。
一歩一歩進むごとに、その声は怖くなるほど大きくなり、すぐそこで何かが起こっていた。

暗く深い木立の向こうは、目を凝らしても何も見えなかったが、そのうちにパンッ、パンッという、銃のような音が定期的に聞こえ、そこでどのようなことが起こっているか想像がついた・・・。
いっきに頭から血の気が引き、その場にしゃがみこんで耳を覆ったのだった。


今回の口蹄疫で牛たちを殺処分が終わったあと、その畜産農家の人が涙ながらに語ったこの言葉が虚しく耳に残った。

「食べられる前に殺されなければならなかった牛たちのためにも、絶対また再生してみせます!」

違うのだ・・・。
牛たちが望んでいるとすれば、その反対のことなのだ。

いずれ私たち人間が肉を食べなくなり、家畜として生まれ、生き、殺されていく牛豚鶏のいない未来を目指すことだけが、唯一彼らへ感謝と償いになるのだと思う。





イギリスの郊外で見かけた野放しの豚たち






 
 
 
 
 
 

2010/06/06

Meet Free Monday

 
 
私のまわりでは、家族も友人も(現在は)肉を食べるが、みな思いやりあるやさしい心の持ち主たちばかりだ。

肉を食べるからといって、私がそれだけで人を否定的にみたことはないし、まわりのみんなも私は私の考え方として尊重してくれているので、家庭でも外食でも楽しく一緒に食事をいただくことができる。

多くの人は“そのこと”を理屈では理解しているので、押しつけなくとも、私自身が徹して主義を貫いていれば、必ずそれを人は見ているし、何かを感じてくれているはずだからだ。

ブログによる活動も含め、それらのことは静かなる影響力をもって、確実に周囲に変化をもたらしていくし、実際にその変化を実感することがある。

その喜びが自分のパワーとなっていく。


しかし中には、その人が肉を食べるからという理由だけで、他の人とうまくつきあっていけないベジタリアンたちもいるようだ。

以前どこかのサイトで見かけたのだが、肉を食べないということをオープンにしただけで、友人が去ってしまうのではないかという不安や悩みを抱えていたり、実際に孤立してうつ病になってしまった、というような話だった。

そのことを口にするまでは、その友人と日常的に親しいつきあいをしていたのなら、そうなってしまうのは本当に悲しく残念なことだと思う。

きっとそこまで追いつめられてしまうのは、“ALL OR NOTHING” という考え方から自分をがんじがらめにしてしまうからではないだろうか・・・。
その結果、相手にも自分にも妥協することが出来なくなり、追いつめられてしまうのかもしれない。


全てを同じ価値観で共有できる友だちなどなかなかいないものだ。
つきあいが長ければ長いほど、ある日突然意外な一面を見せつけられてビックリすることも、互いにあるだろう。

それでも互いの違いを尊重しながらもつながっていられるのが、真の友情だというのが、今の友人たちに囲まれて私がしみじみ思うことだ。

親しいからこそ、この人に聞いてほしい、賛同を得たいと思うのもふつうの感情なのだろうけれど、一緒に食事をしながら肉食を非難してみたり、顔を合わせるたびに動物愛護を語ってみるのは無謀というものだ。

真の友人であれば、自分が相手に正直であることで、相手も自分に正直であってくれるはずだ。

つまり、自分が動物愛護の考えから肉を食べないのだ、ということを正直に話すだけでいい。
そこで離れていく人は離れていくし、そのままかわらぬ友人でいる人ならば、相手のそういった考え方を尊重し、理解してくれる人なわけだから、その友情は大切にしてほしいと思う。

私だって、いくら親しいとはいえ、関心のないことをいきなり延々と語られたら、その人を煩わしく思うし、それが二度も続けば、会いたくもないと思ってしまう。


いまの世の中では、たとえ僧侶が倫理的なことを説いたとしても、何を食べるか食べないかは最終的に個人の選択でしかない。

ただ、そう言っている私があえてブログで書く目的は、私たちが口にする肉が、どのようにしてスーパーやレストランに並ぶかだけは、ぜひ知ってほしいという願いからである。

だからといって無理やり目や耳をこじあけて、知ってもらおうというのではない。
このブログも、たまたまここへきて関心を持ってくれた人に読んでもらえるだけで、じゅうぶん意義があると思って書いているものだ。

いずれ書くつもりでいるが、特に女性が日常的に愛用している化粧品や、ヘアケア製品開発のための動物実験についても同じ気持ちだ。

なぜなら知ることで、変わる人はいるからだ。

実際に私がその一人だ。

私も10代までは肉を食べていた。
「おいしいおいいしい」と言って食べていたのだ。


豚 = 豚肉

牛 = 牛肉

鶏 = 鶏肉 


極端な言い方をすれば、ある時期まではそれらに近い認識だった。

その私が、いまこうしてここで『畜産動物の悲しみ(6/5更新) 』というタイトルで熱心にブログを書いている。


それまで知らずにいた胸が張り裂けるほどの悲しい現実が、いかに私に影響を与えたかということを、少しは想像していただけるのではないかと思う。



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2010/06/05

畜産動物の悲しみ

今話題の iPad 
妻は厳格なビーガンである



「人間は生きるために食べるべきであって、味覚を楽しむために食べてはならない。」
                                   マハトマ・ガンジー


ガンジーも主に動物愛護の観点からこう云ったのだと思うが、新鮮な野菜の味や、料理の味を楽しむことは私にもあるので、私の場合はこの言葉を少しかえさせてもらい、

「人間は生きるために食べるのであって、食べるために生きているのではない。」 

このように自分に戒めている。



私たち日本人は、いつのまにか欧米型の食生活が中心となった。
それに伴い、かつては少なかった病気にもかかるし、それによる死亡率も急増した。

男性はメタボ解消、女性はアンチエイジングと、新たな言葉に踊らされ、日々そういったことに涙ぐましいほど一生懸命になっている。


長く続けてきた食習慣を変えるのは、簡単ではないかもしれないが、それほど難しいことでもない。

私自身ははじめは健康上の目的から、その後に動物愛護の考えから肉を食べることをやめた。

肉を食べないことは、肉体的にも精神的にも、想像以上にすばらしい結果をもたらしてくれるということは自分で体験し、実感している。
なので、内心はいつかみんなも少しづつでいいから、そうなっていってくれればいいな~と、思っている。
なぜならそういった一人ひとりの変化は、本人のからだにだけでなく、地球にもやさしくなることにもつながっていくからだ。


ほかの先進国に比べ、まだまだ日本には環境保護や動物福祉からのベジタリアニズムが普及していない。

すくなくとも私たち日本人は、わざわざ残酷な方法で動物たちの命をいただかなくとも、ほかに食べるものはいくらでも豊富にある。

また、これは多くの人が誤解していることだと思うが、じつは人間は肉を食べなくとも、栄養学的にはなんら問題はないことが、現在ははっきりとわかっているのだ。 (大豆などはりっばな良質のたんぱく源である)

つまり、肉を口にするということは、お酒やたばこと一緒ということになる。
それは生きていくのに必要なのではなく、「嗜好」にすぎないということだ。

イルカ・鯨肉についても同じである。

なぜそうまでして、イルカや鯨を殺して食べ続けるという「伝統」を死守したいのかが、私にはどうしても理解ができないのだ。
時代は移り変わる・・・と共に変わっていかなければならないこともあるはずだ。

一部の人たちの反対抗議デモにより今回東京の全映画館で「ザ・コーヴ」の上映が中止になった。
私個人の感想を一言でいえば、「残念」である。
なぜならば、あの映画は決してただの人種差別的な日本バッシングの映画ではないからだ。

感情論で国や人間同士互いを非難しあう以前に、スペインの闘牛もそうだが、文化や伝統という「もっともらしい口実」で殺される鯨の身にもなって考えてみる、ということは出来ないだろうか。
本当の犠牲者はいったい誰であるか、をよく考えてみてほしいと思う。

あれだけ牛や豚や鶏を食用に殺している欧米の映画に、ああいったかたちで日本を世界に知らしめられるのは、たしかに日本人としては悔しいかもしれない。
しかし監督のルイ・シホヨス氏がベジタリアンだというのはたいへん説得力があるし、真実は真実として知りたいと思う日本人もたくさんいるということも現実なのだ。

 
口蹄疫』の問題は、その根底に、私たち現代の日本人が、貪欲に牛や豚たちの命を身勝手に奪い続けているということを、真剣に考えなおさなければならない時期にある警告ではないだろうか。
・・・と、私は思いたい。

しかし悲しいかな、現実はそんな私の思いとは逆行しているようだ。

先日の新聞では、宮崎県の畜産農家を救おうと、バーベキュー大会の企画をするなど、肉の「さらなる消費」を一生懸命呼びかけている人々の運動を大きくとりあげていた。
しかしその反対側で、生まれながらに「家畜」という名を付けられ、人間に思うように扱われ続けてきた動物たちを、もう苦しみ・悲しみから解放してあげたいと思う人はどれほどいるのであろう。


畜産農家の人の立場だけではなく、牛や豚の立場を想像し、心を痛めることはけっしてズレていることではないはずだ。

なにしろ恐ろしい数の牛と豚が殺されている。
恐ろしい数だ!
いずれは殺される運命であっても、こんな悲惨なことってあるだろうか!


こういった多くの問題がたいていは人間の都合によって引き押おこされ、いつもいつも犠牲になるのは、言葉をもたない動物たちである。


新聞・テレビでの報道を見ながら、毎日大量に「処分」(大嫌いな表現である)され続けている、牛や豚のこと思い、胸を痛め涙をこらえる私はただのセンチメンタリストであろうか・・・。